フルケンレンズ
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Hawaiian Sunのストロベリーグァバジャム。
2012.05.12 Saturday 10:34
Hawaiian Sun

こんがりと焼いたトーストに塗るものといえばバターないしはマーガリンというのがもっぱらな家の子供だった僕にとって、朝の食卓に時々登場する瓶詰めのジャムは、塗って食べることよりも運だめしを楽しむことに重きを置いた一品だった。
赤い半透明のイチゴジャムをティースプーンですくいあげた中に偶然混じる果肉の粒の大きさに比例して、その日の運の良し悪しが決まるのだ。
そのささやかな運だめし遊びは、実はオトナになった今でも、僕の朝の食卓におけるひそかな慣わしとして続いているのだということを、この際だから告白しておこう。

見上げるほどの高さで壁のようにどこまでも続くスーパーマーケットの商品棚に並べられる、様々な国で製造された膨大な種類の瓶詰食品の中で目に留まったジャムの類の中から、ラベルのデザインやそこに書かれている能書きと瓶の中身の色だけを頼りにその味加減を想像して、あまり深く考えることなく大きなショッピングカートに放り込むという、僕のジャムの買い方からして既に運だめしのようなものである。
そして、きょうの朝食にキッチンの冷蔵庫から取り出した、Hawaiian Sun Products, Inc. が製造している10オンスのStrawberry-Guava Jamもまた、以前僕がマノアのLongs Drugsにおいて同じやり方で選んだものだ。

異国情緒のあるハワイのグァバをほどよく混ぜ合わせた、鮮やかな赤いイチゴの安心で満足のいく味わいが創り出す美味しいジャムと、同社の商品カタログには謳われている。
ハワイの地元企業として1952年に創業されたHawaiian Sun Products, Inc. は、島で栽培された新鮮な果物を原料にした食品ビジネスを地場において展開した先駆けとして、これまでに数々の商品を取り揃えていて、その品質については大変な誇りを持っているのだそうだ。
トーストに塗ってみると、その謳い文句はおおむね正しかった。
購入段階における僕の運だめしはひとまず成功を収めたようだ。

手のひらに収まるほどの小振りなパンケーキに、このジャムを挟みこんで焼きあげたなら、かなり上出来なお茶請けの一品になりうるのではないかと、僕はたった今思いついた。
挟み込むジャムの中に大きなイチゴの果肉が見事に混じったなら、僕の思いつきレシピはさらに完璧に仕上がるのだが。
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Only Good Times
2012.03.27 Tuesday 22:46
Sunset at Northshore

学び舎を巣立ち、出会った友や恩師との別れを惜しみつつもこれから進む新たな道に喜びと希望を見出していくのだといった、社会に出ていくほんの少し手前の年代のこの時期ならではの心情をうたった歌を、かつてこれまでに何度か経験した卒業という節目のたびに聞いたり覚えたりした記憶が僕にもある。
惜別と期待のいずれの気持ちに重きを置いたものであっても、それぞれに思い浮かべることができる名曲がいくつかあるけれど、その中で僕にとっての永遠のスタンダード曲を挙げるとしたら、Keola & Kapono Beamerの「Only Good Times」が間違いなくそのうちのひとつに値する。

彼らを代表する1978年のアルバム「Honolulu City Lights」に収録され、ハワイで高校時代を過ごし卒業したかつての年代には馴染みが深いこの曲を僕が初めて聴いたのは、1980年代前半の頃だ。
当時聞いた深夜のFM波の番組の小さなセグメントの中で紹介され、流れていたと記憶している。

無邪気な若い頃に心通わせた友と過ごした時間に後悔はなにひとつなく、楽しいことだけだったという過去に向かっての追憶と、人生はままならないことばかりで人の気持ちは時間とともに移ろうものだけれど、思いを共にする人にめぐり逢い自分で決めた行き先に向かって進んで行くならば、そこにも後悔はなにひとつなく楽しいことばかりなのだという未来に向けた希望を、穏やかなスラックキーギターの旋律に乗せて歌うコンテンポラリーハワイアンの美しいハーモニーは、一度聴いて忘れ難く僕の記憶に深く留まった。

タイトルと歌い手の名前をうっかり聞き逃してしまった僕がこの曲に再び巡り会ったのは、その数年後に見た映画「Big Wednesday」の中だった。
1960年代初期から70年代前半にかけてのアメリカ西海岸におけるサーフカルチャー全盛期にいた若者たちが否応無く社会の中に巻き込まれ大人へと成長していく時間の流れを四つの季節になぞらえ、時代とともに社会のありかたや人の考えは変わってしまっても旧い友との信頼は海や風と同じように昔のまま変わらずに在りつづけるのだとうったえる不朽の名作のエンディングテーマとして、これ以外にはあり得ないほどに見事に調和していた。

社会に出る前の時期に経験した歳月の節目というものを意識しなくなってしまってから、気がつけばもうずいぶんと長い月日が経った。
忙しそうな振りをしながら垂れ流すように歳月を浪費することを、もっともらしい理由をつけて正当化しているような毎日だけど、実はその毎日の連続が、僕らが人生と呼んでいるそのものなのだ。
大きな慣性が働く目の前の現実とうまく折り合いをつけながら、もう一度、節目の大切さを思い返してみよう。

オトナになってから聞く卒業を題材にした歌は、あの頃よりもはるかに心に染みてくる。

"Only Good Times"はこちらから視聴できます。
(mele.comのサンプル版mp3ファイルにリンクします)

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エディアイカウが海に消えた日。
2012.03.18 Sunday 05:30
Hokulea, Eddie Aikau

北緯20度50分5秒、西経157度16分5秒の地点を地図で探しあてて行くと、そこはオアフ島から南東に向かった洋上を示していることがわかる。
ラナイ島の西の沖およそ20マイルつまり30数キロメートルの距離の、モロカイ海峡を抜けた先にあたるこの位置は、34年前の今日エディ・アイカウが、悪天候で遭難したホクレアに共に乗り合わせ絶望の淵にあった仲間たちの救助を求めに向かった、最期の場所だ。

その前日、あきらかに下り坂に向かいつつあった海の天候は、近代的な機器を使うことなく天体の運行や自然から受ける様々な情報だけを頼りにして船を正しい目的地に到達させるポリネシア伝統の航海術による二度目となるタヒチまでの長い旅の出発にはまったくの不向きであった。
しかし、ネイティブハワイアンの誇りであるその小さな双胴カヌー・ホクレアの出港を祝い見送るためにマジックアイランドに集まった実に多くの人々の熱気と、その航海の成功が彼ら海洋民族のアイデンティティにとって大変重要な意味を持っているという重圧とに押し出されるようにして、エディアイカウを含めて16名の乗組員を乗せたホクレアは、夕闇迫るアラモアナからタヒチに向けて進んでいった。

出港からおよそ6時間後、真夜中の完全な闇に覆われた海上は、恐れていたとおり強風と高波のひどい荒模様になった。
充分に訓練された乗組員たちの技量をもってしても船体の制御は極めて困難な状態に陥り、浸水して傾きはじめたホクレアは、ついに転覆してしまう。
全員がかろうじて船体にしがみついてはいるものの、緊急用の無線や、食べる物や飲む物も転覆した拍子にそのほとんどが流されてしまい、激しい波の揺れによって著しく体調を崩していくものも現れはじめた。
このままでは全員の命が失われてしまうと考えたエディは、自分を救助の要請に向かわせてほしいとキャプテンに願い出た。
それは、タヒチでの波乗りのためにエディが船に積みこんでいた12フィートのサーフボードでパドルアウトしてラナイ島に向かうというものだった。
しかし、この悪天候の中で船を離れることは、すなわち彼が命を落とすことであり、それは許されることではなかった。

救出されるあてもまったくなく、絶望的な状況のまま夜が明けた。
潮で大きく流されたことで海上と上空いずれの航行経路からもはずれてしまい、流木のように漂う彼らが誰かによって発見される可能性も徐々に薄れ、通信手段も断たれ飢えと乾きと寒さで体力は消耗し、打ちのめされた彼らは皆、衰弱の極限状態に追い詰められていた。
エディはワイメアベイでこれまでに数えきれないほど多くの命を救ってきたライフガードの本能的な使命として、この最悪の事態の中で自分が何もせずにじっといることなどできなかった。
彼はもう一度キャプテンに、救助の要請に自分をラナイ島へ向かわせてほしいと願い出た。
激しい議論が尽くされた苦渋の決断として、彼の願いは認められた。
疲れ果てた乗組員たちにとって、もはやエディは唯一残された最後の希望だった。
そして、ハワイ時間の1978年3月17日、およそ午前10時30分頃。
なにもかもうまくいくのだと言い残し別れを告げたエディは、遥か20マイル先のラナイ島を目指して、世界でも有数の危険な海域にひとり漕ぎ出し波間に消えていった。
その日の夕方、漂流を続けていた乗組員たちは、コナからホノルルに向う民間の航空機によって奇跡的に発見され、全員が無事に救助された。
しかし、ラナイ島に向かったエディの行方は途絶え、もう二度とその姿を見ることはなかった。

今でもホクレアの左舷後方には、自らの命も顧みることなく仲間を救おうとしたエディの献身的な精神と行動を讃えたプレートが静かに据え付けられている。
人々に愛されたエディを失った不幸な遭難事故を乗り越え、ネイティブハワイアンの誇りを継いだホクレアはこれまでに数々の長距離航海を成功させ、2007年には5ヶ月間をかけて日本各地へも寄港した。
そして来年、2013年から3年間をかけて、これまでどおりの伝統航法で地球を一周する遠大な航海が始まる。
彼自身の肉体がタヒチにたどり着くことはついに叶わなかったけれど、彼の魂はホクレアとともにいくつもの海を渡り、国境と時代をはるかに越えて世界中を駆け巡ろうとしている。

参考資料
Stuart Holmes Coleman著 "Eddie Would Go"
Ben Finney著 "Sailing in the Wake of the Ancestors"
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思いを新たに。
2012.03.11 Sunday 14:46
HOPE

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Fabric Rainbow
2012.03.10 Saturday 02:25
at Fabric Mart

雨の降る気配など微塵も感じられない、カラカウアAve.沿いの午後の遅い時間。
見上げた窓に、虹のカーテン。

どれが優れているとか劣っているとか、そういう概念は色には存在しない。
そこには違いがあるだけであり、互いの足らない要素を補完しあう関係が成立している。
色とはつまり調和の問題なのであり、不要な色など、なにひとつないのだ。

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THE EDDIE 2011-2012|003:Eddie Would Go
2012.02.27 Monday 00:33
EDDIE WOULD GO By Nainoa Thompson By Takuji Araki By Kimo Hugho

2002年に初版が発刊された”EDDIE WOULD GO”は、1940年代半ばから70年代後半のハワイに実在した偉大なビッグウェイブライダー、献身的なライフガード、そして名誉あるホクレアのクルーであり、当時のネイティブ・ハワイアン文化復興の潮流にも大きな影響を与え多くの人々に慕われたエディ・アイカウ、実名をEdward Ryan Makua Hanai Aikauという、ひとりの男の生涯と彼が生きた時代のハワイの社会を克明に記録した書物だ。

僕がかつて1990年代初期の頃にサーフィン雑誌の記事の中で拾い読んだことを微かに記憶していた、唯一稀有のビッグウェイブサーフィンコンテストであるThe Quiksilver in Memory of Eddie Aikauでその名を讃えられるエディ・アイカウという人物について書かれているということが気になり、是非ともこれは読んでおかなくてはいけないという直感的な気持ちに導かれるようにして、6年ほど前に、当時ワイケレ・センターにあったBorders Books & Musicで購入した。
それ以来、正確な数はもう覚えていないけれど、ことあるごとに幾度も読み返し、今では自分自身の根底の在り方を強烈に示してくれる、僕にとっての座右の書という地位を獲得している。
特に毎年のこの時期、The Eddieのウェイティング期間中にこの本を開くときの僕の気持ちは、敬虔という言葉で表現して差し支えないほどの純粋さに立ち返り、文章に綴られる彼の生きざまに強く心を打たれストーリーの中に引き込まれていく。

合計271ページ、枚数にして140枚近くにもなる明白色の良質な紙を厚みのあるハードカバーで装丁したこの本は、手にしてみるとそれなりに重い。
そのうえ僕のものにはエディと直接に縁がある人々からの署名とメッセージがところどころに書き添えられていて、その意味合い的な重さが加わることで、本自体の質量をはるかに越える重厚感を備えた特別な一冊になっている。
自宅でじっくりと腰を据えているときだけでなく、その日の気分次第では屋外に連れ出して読んでみたくもなるので、もう少し手軽に持ち運べる軽さであればいいのにと思っていたところ、表紙のデザインと写真のページが一部差し替わっている以外には中身になんら変わるところがない、軽量で廉価版のペーパーバッグを数年前に見つけて、僕はその場で購入を決断した。 
こうして二代目を手に入れたことで、最初に手に入れたハードカバー版は、僕だけの貴重な蔵書として自宅の書棚に並べられることになった。

このバイオグラフィー作品の構成を支えているのは、かつてエディと同じ時間を共有し素顔の彼を知る人々による、数々の記憶や思い出の証言だ。
思い出を語るこれらの人々の多くは、今もなおハワイのコミュニティに根ざし、様々な媒体や機会を通じて出逢える人々であり、そこで描写されている当時のハワイの情景は、すでに失われてしまった部分も多いけれど、物事の本質を正しく知ろうとする目線を向けるならば、今でもその断片を自分自身の目で見つけることができる。
違う土地と世代に生まれ育ちその実在を知らない僕にとってのエディは、活字や映像の中に生きる伝説のような存在であるはずなのだけれど、僕が今そうした人々と同じ時間軸のなかにいて、変わらない風景を見ているのだということを自覚することで、この作品が橋渡しの役割を果たしてつながる時間を辿り戻った先には、かつてエディアイカウという偉大なハワイアンが確かにいて、僕の勝手な思い込みに過ぎないことがわかりきっていながらも、いつかどこかで出逢ったことがある旧知の存在に思えてくるのだ。

"Eddie Would Go"
The Story of EDDIE AIKAU, HAWAIIAN HERO and Pioneer of BIG WAVE SURFING

Stuart Holmes Coleman著
出版社:
<ハードカバー版>
MindRaising Press
<ペーパーバッグ版>
St. Martin's Griffin
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MOLESKINEとともに、新年を迎える。
2012.01.10 Tuesday 20:28
モレスキン|MOLESKINE

正月気分から抜け出して、新しい年が本格的に始動するとともに新調されるものが僕にはいくつかあるのだけれど、その中でも特に、あまたの種類の中からあれやこれやと手に取って思い悩んだ末に、自分の気持ちと感触に最も馴染むものを「今年のモノ」としてひとつだけ採用するという行為を毎年楽しみにしているのがスケジュール帳なのである。

使い勝手に関して言うなら、僕の中での時間感覚として粗すぎず細かすぎない粒度をもった週間予定表がもっとも好ましい。
これから先の12ヶ月間、常に携行して使い倒していくツールなのだから、実用性は当然のこととして、形や色や大きさあるいは手触りの良さ、つまり、出来映えの美しさを持つものを選びたいし、その品質の良さを裏付ける歴史や事実があるならば、それらはさらにモノとしての信頼を勝ち得る材料になる。

ひととおりの手帳を並べて悩み抜いた末に、僕は今年、見開き左のページに1週間分のスケジュール、右ページに横罫線のノートというつくりの、MOLESKINEのWeekly Notebookとつきあうことにした。
日本では「MOLESKINE」を、ヨーロッパで標準的とされる「モレスキン」と聞こえる発音にあわせて読ませるようだが、日本語の響きとしてやや賛成しかねるので、僕はあえて「モールスキン」と呼びたい。

その名が示すとおり、モグラの表皮を模した黒いカバーで覆われ、縦14cm、横9cmの大きさで中性紙144ページの厚さのノートブックは、簡素にして必要充分な実用性とこれ以上にはありえないほどにシンプルで端正なたたずまいを併せ持ち、過去2世紀にさかのぼる歴史を持つMOLESKINEは、後世に残る文芸作品のアイデアや物語を下書きするツールとして、ゴッホやピカソあるいはヘミングウェイといった多くの芸術家や作家たちに愛用されてきたと言われている。
僕には彼らのような使い方はできないけれど、せめて僕自身がかかわったり、または記憶にとどめておかなくてはならない様々な時間の情報や、そこから派生するちょっとした所感あるいはその日に起きた出来事くらいはこのノートブックに書き残していきたいものだ。

仕事であれ日々の生活であれ、毎日をすごす中でひっきりなしに行われる雑務のような、たいていの事柄がデジタル装置によっていとも簡単に実現できたり、管理できてしまう時代だけれど、時間や日程を軸としてその周辺に創出される情報の整理を行うには、僕にとっては紙の帳面こそがもっとも使いやすい道具であることに変わりはない。

たかがスケジュール帳、されどスケジュール帳なのだ。



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THE EDDIE 2011-2012|002:The Bay Calls the Day
2011.12.02 Friday 10:00

その日はやって来るのか、来ないのか。
もし来るのならば、それはいったい、いつなのか。
その日とは、世界中から選ばれた28人だけに許された、あまりにも巨大で厳しい波に挑む完璧な舞台が用意される特別な一日だ。

"The Bay Calls the Day."

その日は、誰にもわからない。
ただ北太平洋に面した素朴で美しいその小さな湾だけが知っているという。

だけれども、その季節がやってくることだけは、間違いなく確かなのだ。
一年に一度、28人の招待選手と24人の交代選手、そしてアイカウ・オハナが一同に集い、ともにエディの残した偉大な功績を讃え、確かめ合うことによって、そのことを自覚する。
この日、この瞬間、僕の心もまた、遥かなるワイメア・ベイへの巡礼者となり、彼らとともに深い祈りを捧げている。

27年目のThe Eddieの季節が、ついに始まった。

The Quiksilver in memory of Eddie Aikau 2011/2012
The Opening Celemony 2011 December 1st, 3pm at Waimea bay North shore, Oahu, Hawaii.


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THE EDDIE 2011-2012|001:エディアイカウ、再び。
2011.10.29 Saturday 01:16
EDDIE AIKAU | エディアイカウ

27年目のその季節が、変わることなく再びめぐってくる。

Quiksilverのオフィシャル告知サイト、リリース。

ウェイティング開始までのカウントダウン、33。

The 27th Quiksilver In Memory of EDDIE AIKAU
"THE EDDIE 2012"
クイックシルバー・イン・メモリー・オブ・エディ・アイカウ 2012
Waiting Period:2011/12/01 - 2012/02/29



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ゼロハリバートンは、修理してこそ価値がある。
2011.10.25 Tuesday 00:21
ゼロハリバートン Eシリーズ Zero Halliburton E3

信頼のおける性能のよさと息の長いメンテナンス部品の存在、そして、大量の時間が染み込んでもなお美しさを失わず、それどころか一層そのよさが引き出されるデザインとを持ち合わせ、したがっていつまでも使い続けたいと思わせてくれることが、僕が僕自身のものとして所有して日々の生活の中で使っていく物を選ぶにあたっての原則となる基準のひとつだ。

僕が使い始めてから付き合いの長いゼロハリバートンのアタッシェケース、E3モデルのハンドルが先日、何の前触れもなく突然に壊れてしまった。
突然に、というのはあくまで僕の主観であって、早い話が、どんなものにでも起こり得る経年劣化による破損だ。

ハンドルの左右内側から6mmほど突き出し、本体との接合部品の中に巧みに収め隠された強化プラスティック製の爪は、空の状態で2.8kgにもなる本体の重さを確実に支えつつ、持ったときの体の動きと重力の向きに合わせて常に可動することを要求される最も過酷な、したがって破損しやすい部分なのだ。

本体を構成する蓋部と底部との間を密閉する機能を支え、1987年に開閉メカニズムに関する米国特許を取得しているS.Franzen Sohne GmbH社製のドロウボルトと呼ばれるラッチもまた、経年とともにレバーを跳ね上げる力が衰え、最大限の性能を発揮できなくなる運命にある部品だ。

ZERO HALLIBURTONの堅牢さにまつわる数々の逸話が物語っているように、アルミニウムで作られた本体はまったくもって充分に健在であるものの、プラスティックでできた部品や合皮レザーの内装や、可動頻度が高い部品に関しては、さすがに同じようにはいかない。
どんなに頑丈に作られたものであっても、形あるものは必ず壊れる。そのあたりまえの法則を自覚し、寿命を見越したうえで上手につきあってあげる覚悟が必要だ。

これらの部品は、交換することによって、その機能を完全に回復することができる。
そして優れたデザインを身に纏っているからこそ、修理して使おうという気持ちにさせてくれる。
僕のもの選びの基準にかなったゼロハリバートンは、その堅牢さだけが魅力なのではない。
その真価は、壊れた部分を修理して使い続けることによってこそ発揮されるのだ。
ラッチに関して言うなら、表からは見えない裏側の形状がわずかに改良され、おおよそ10年という時間の経過とともにより洗練されたものになっている。
こんな些細な発見ができるのも、修理することの楽しみのひとつだ。

これからも徹底的に使い続けていこうという気にさせてくれる、傷ひとつない真新しい明るいグレーのハンドルと鏡のように光る新品のラッチに交換されて息を吹き返したE3は、長年使い込まれてできた本体の傷やヘコミとともに、第2世代としてまた新たな歴史を刻むことになる。

参考:
ゼロハリバートン公式サイト(日本語)

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